永遠に変わらない大牧者 ヘブル13章7、8節

1月22日 ヘブル13章7、8節
増田清世牧師

 主の年2017年に入り、私たちは新たな決意と希望を胸に歩んでおります。
今年も「信仰の創始者であり、完成者であるイエス様を見上げつつ」主とともに力強く歩みたいと思います。
今朝、私たちは、すべてが移りゆくこの世にあって、「イエス・キリストは、
きのうも今日も、いつまでも、同じです」と宣言する聖書のみことばに、聴きたいと思います。
1.神のことばを語る指導者
昨日はアメリカで新しい大統領の就任式がありました。
日本、世界の社会情勢の急激な変化が予想されます。家庭にも変化が起こります。そして教会にも変化が起こります。なぜなら教会とは、主によって召された人々の集まりであり、そこに集う人も変わるからです。建物、プログラム、音楽、そして指導者も変わります。すべてが変化する中で、変わらないものがあります。それは主が私たちに与えてくださったイエス・キリストの福音であり、神のみことばであり、主御自身であります。
北赤羽キリスト教会も神様の導きによって昨年、主任担任牧師として砂原牧師ご夫妻をお迎えできました。しかし指導者は代わっても、イエス・キリストの福音は変わりません。「変わることのない神のみことば」に耳を傾けることが出来るのです。
聖書は、神のみことばをあなたがたに話した指導者たちのことを、思い出しなさい。・・と勧めています。「神の言葉を語る」ことが教会の指導者の使命です。これが牧師にとって、もっとも重要なことです。牧師が講壇から語るのは神の言葉の解き明かしです。いつも聖書からキリストの救いの御業を解き明かします。その福音の恵みを実生活に適用することを説教します。
説教者は、絶えずみことばの真理を前面に掲げ、それも「聖霊の助け」によって解き明かすのです。説教を聞いた人々は「イエス・キリストの素晴らしさ」に心打たれ、生きて働かれる神の恵みを知り、信じます。
そのためには、まず説教者自身が絶えず、説教のために祈り、準備するのでなければ説教を語ることはできません。そのみことばに感動を覚え、心燃やされて格闘しながら説教に取り組みます。この格闘の中で、まず、説教者自身が、みことばの広さ、高さ、長さ、深さに感動し、主を見上げるのです。
「神のみことばが正しく語られ、宣べ伝えられる」ことは教会が「本当の教会」であるかどうかを示す最も重要な使信であります。私たちは牧師、説教者が正しくみことばを語り、神の御旨と神のご計画を語れるように祈る必要があります。「牧会」は、神から委ねられた大切な羊の群れを神のみことばを以て養い、神の計画に従って歩めるように、「神に祈り、委ね、信仰と愛と忍耐をもって」成す神の働きです。
私たちは感謝をもって、牧会者のすべての必要の為に祈りたいと思うのです。
2.信仰を模範とする
「神のみことばをあなたがたに話した指導者たちのことを、思い出しなさい。彼らの生活の結末をよく見て、その信仰にならいなさい。」と勧められています。
神のことばをもって、私たちを、神の教会を指導してくださった人々がいます。その人たちの言葉を思い出すだけでなく、「天に凱旋された方々の生涯の終わりをみて、その信仰に見倣いなさい」と勧めるのです。
昨年、バルメン宣言の読書会が始まりました。70数年前のナチス・ドイツの
政治活動に当時の教会がなびいていく中、ドイツ告白教会は壮絶な信仰の戦いを通し、信仰の旗印を鮮明に掲げたのです。「神様のみことばは国家の上にあるのだ」との神の御言葉の絶対性への告白、「キリストの側に立つ」キリストの唯一性への信仰姿勢に大きな励ましとチャレンジを受けました。
信仰の指導者として、天に召されたネットランド宣教師のことを思い出します。
私をイエス様に導いてくださったネットランド師は愛と祈りの人でした。
目の前の現実に失望して落ち込む私に、背後で確かに働かれる神様に目を向け、信頼しなさいと励まし、「増田さん、いっしょに主に信頼して祈りましょう」と主に立ち返ることをいつも教えてくださったのです。
人生のあらゆる局面、信仰生涯に神の配慮、ご真実、御心、神のご計画を堅く信じ、祈り待ち望む信仰姿勢を見せてくださいました。
「心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りにたよるな。」
あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。」  箴言3章5,6節
いつの時代も説教者は大胆にキリストを指し示します。
信仰によって歩んだ人々が、どのように地上生涯を送ったのか、その「信仰のあかし」に目を留め、倣うようにと聖書は勧めます。
17節「あなたがたの指導者たちの言うことを聞き、また服従しなさい。この人々は神に弁明する者であって、あなたがたのたましいのために見張りをしているのです。」
3.永遠に変わらない大牧者 
「イエス・キリストは、きのうもきょうも、いつまでも、同じです。」。(8節) 
どんなに優れた指導者でも、いつまでも生きていて人々を直接指導することは不可能なことです。しかし、私たちのそばには、過去、現在、未来の時の流れのうちにありながら、時を越えて永遠に変わらない指導者がおられるのです。
この方こそ、ヘブル書の著者が一貫して語ってきた偉大な大祭司イエス・キリストです。
私たちはさまざまな異端の教えや規定に惑わされることがないように、常にこの永遠の大牧者、イエス様に従っていくことが大切なのです。
困難、抵抗、挫折、妨害の中で「いつまでも変わらないイエス様に目を向けて生きる」とき、私たちの歩みは神の側にあります。
困難で恐れのつきまとうヘブル書が書かれた当時の社会で「神の民であるという自覚」が彼らを強くしました。なぜなら「神の民には神のいのちがある」からです。いのちのない者は、この世に流されていきます。
初代教会時代、パウロは3回伝道旅行を実施しました。
使徒20章には、エペソの教会を去る時のパウロの決別説教が記されています。彼はミレトに教会の長老を呼び寄せています。もう2度と彼らに会えないと知っていたのです。そして語りました。
「今、私は、あなたがたを神とその恵みのみことばにゆだねます。御言葉は、あなたがたを育成し、すべての聖なるものとされた人々の中にあって御国を継がせることができるのです。」(32節)
パウロはエペソの長老たちに、キリストに敵対する困難な時代が見えていると警告します。パウロにも、この先投獄と患難が待ち受けていました。
 私たちが御国を実際に継ぐまでの地上での信仰生活においては,さまざまなことがあります。そうした中で、御国に至るまでの間、クリスチャンを支え、導き、矯正するのは神のみことばであります。人の教えも考えも周りの環境も変化していき、自分自身も変わりやすい存在です。しかし、「神のみことばは変わらない」のです。このみことばに信頼する時、みことばが私たちを御国に至るまで全うし続けてくれるのです。パウロはこのような「聖書信仰」に立っていたのです。これから多くの危険がふりかかってくると予測される中でも、彼らを「神とその恵みのみことばにゆだねます」と言うことができたのです。
みことばは、私たちに恵みをもたらし、私たちを恵みをもって導くからです。
パウロはどんなに状況が変わろうとも、決して変わることのないイエス・キリストに目を向け、主の御言葉に希望を置き、真理の御言葉に堅く立ったのです。
「イエス・キリストは、きのうもきょうも、いつまでも、同じです。」。(8節)
永遠の大牧者、イエス様は目に見えませんが、確かに生きて働かれます。そして、私たちを神のご計画の中で持ち運び、祝福してくださいます。
今年も困難なことが見える中、一日一日を、心を尽くして「主により頼みたい」と思います。変わらない「大牧者イエス様の御顔」を仰ぎ望みつつ、みことばに信頼して歩みたいと思うのです。

© 2024 日本同盟基督教団 北赤羽キリスト教会 公式HP Powered by AFFINGER5