覆いを取り除く神

ヨハネ黙示録1章1~3節  増田清世師

 主の年2018年、皆様と共に新たな出発を始めることが出来ました。主の御名を崇め、感謝しています。

人間の醜い争いと天変地異の苦しみの中で、多くの人々が世の終末を感じています。

この世の権力のただ中にあって、キリスト者は、神の国の民として、信仰の試練があることは予測できることです。どんな時にもキリストの勝利によって、望みをもち、共に、勝利の確信をもつ者でありたいと願う者です。

そんな私たちにとって、黙示録は『希望の書』『励ましの書』また『警告の書』です。

ヨハネは冒頭で、この黙示録は、父なる神から御子イエス・キリストに伝えられ、御子から御使いによって使徒ヨハネに伝えられ、さらに私たちキリスト者に伝えられた「神のメッセージ」であると述べています。

ヨハネは諸教会にこの書を朗読するよう勧めています。すべての人が聞き、適用し、従い、心に留め、神が勝利されるという事実に確信をもつようにと勧めています。

今朝は、ヨハネの黙示録1章1~3節の神のみことばに傾聴したいと思います。

 

1.黙示録の時代背景と内容

「イエス・キリストの黙示。これは、すぐに起こるはずの事をそのしもべたちに示すため、神がキリストにお与えになったものである。そしてキリストは、その御使いを遣わして、これをしもべヨハネにお告げになった。」(1節)

この黙示録を書いたのは、使徒ヨハネであります。

カイザルに始まるローマ皇帝の第12代目の皇帝ドミティアヌスの治世、紀元70年の

エルサレム陥落の後に書かれたと言われています。 

ヨハネは、皇帝ドミティアヌスにより、エーゲ海にあるドデカネス諸島のひとつ、周囲が24kmの小さなパトモス島にその信仰のゆえに、流刑となりました。

当時、教会はローマ帝国、皇帝ドミティアヌスの統治下にありました。彼は、宗教的に帝国内を統一するために、皇帝礼拝を強要し、拒む者たちは、国家への反逆罪として死刑に処せられ、財産は没収されました。

当時のキリスト者たちは、殉教を覚悟する厳しい迫害と闘うことになったのです。アンデレ、マルコ、オネシモ等の殉教はこの迫害の時期とされています。

キリスト教徒に対する大迫害は第1回目のネロの治世に次いで第2回目でありました。

ネロによる迫害は、紀元54~68年でした。エルサレムでは主の兄弟ヤコブがヘロデ王によって殺され、ローマでは大火とクリスチャンへの迫害が64年にありました。

長引く迫害を実際に体験し、彼らの「終末とキリスト再臨への希望」が一段と強くなっていったのです。

「終末」はクリスチャンにとって信仰の目標であり、ゴール、到達点であります。

「終末」についてイエス様はマタイ24章14節と35節で、

「この御国の福音は全世界に宣べ伝えられて、すべての国民にあかしされ、それから、終わりの日が来ます。」

「この天地は滅び去ります。しかし、わたしのことばは決して滅びることがありません。」 他にマルコ13章、ルカ21章などにも語られています。

しかし、ヨハネ黙示録は、このテーマだけに焦点を絞って詳しく記述しているのです。

「すぐに起こるはずのことをそのしもべたちに示すため」とあります。

「すぐに」と事態が急を要することを告げています。それは突発的に、予告なしに、次の瞬間に起こるかもしれないとの切迫感を伴うものであります。

「神の時が来たなら、ただちに成就する」という意味であります。

黙示録は、新約聖書の最後の手紙です。未来と現在に関する書であります。

約2千年前に書かれたこの黙示録を今日の私たちが読む時に、どこか違和感を感じるかも知れません。しかし、これは決して作り話ではないと聖書は証言します。

「私たちは、あなたがたに、私たちの主イエス・キリストの力と来臨とを知らせましたが、それは、うまく考え出した作り話に従ったのではありません。この私たちは、キリストの威光の目撃者なのです。」(第2ペテロ1:16)。

一つ一つが未来において現実に起こるべき神のみわざであることを信じる時に、今日の私たちも同じ緊張感の中に、信仰を持って生き抜くことができると励ましを受けるのです。

私たちの信仰の世界では、きょうあすが大切です。

たとえ世の終わりが今日来なかったとしても、今日語られる神の御言葉、警告をどのような態度で聞いているかです。それによって、突如として起こる「最後の審判」に耐え得るような備えが培われていくのです。

ですからこの「すぐに」を真剣に受け止めていくことが大切であります。

 

2.覆いを取り除く神

「ヨハネは神のことばとイエス・キリストのあかし、すなわち、彼の見たすべてのことをあかしした。」(2節)

ヨハネは、迫害に直面し苦難と闘っている教会の事を思い、心に深い痛みを感じて

いたことと思われます。そのことをご存じの主イエスは、ヨハネの痛む心を知っておられました。ヨハネの願いや当時の信仰者たちの求めに答えて、主はこの黙示をヨハネに、そしてすべての時代の教会にお与えになったのです。

迫害の中で、ヨハネや当時の信仰者たちが主にお聞きしたかったことはどんなこと

だったでしようか。これまで信じ、従ってきた主イエス・キリストは現在どのようにしておられるのか、またその支配の権威と力について、また迫害する勢力に対する主のご計画はどうなのか、自分たちの受け継ぐ神の国はどのようなものか、それらと今受けている苦難はどんな関係があるのか、等々、多くの疑問があったことでしょう。

私たちも、信仰の戦いの中で同じような質問、あるいは叫びを主イエス様にすることがあります。そのようなヨハネの問いに主は豊かに応えてくださいました。

ヨハネはパトモス島で、聖霊によって世の終わりのあらゆる光景をつぶさに見せられ、聞かされ、黙示録を書き記したのです。信じる者に約束されている神の国、主イエス・キリストの支配と権威と力を知らされ、それを書き留めたのです。

「イエス・キリストの黙示」とあるように、この書は神がその計画をイエス・キリストに明らかにし、キリストがそれをヨハネに啓示したのです。

キリストの真実の姿を過去、現在、未来を貫いて詳しく書き記したのです。

「神の永遠の愛のご計画、御旨」が記されています。

ヨハネ黙示録は、新約聖書の中で唯一つ、その名が示すとおり、黙示による記録であります。「黙示」とは、「ふたをとる」「覆いを取り除く」「明らかにする」と言う意味です。「覆いを取り除き、隠されていたことが明らかにされる」ということです。

イエスはご自分のメッセージを、啓示、幻を通して告げられました。すべての信者にとって励ましとなるように、ヨハネに未来の特定の出来事を見せて記録させたのです。この幻には、これから起こることの本質を知らせる多くのしるしや象徴が用いられたのです。この黙示録の特異な現象に捉われ過ぎないで、この書のメッセージである主イエス・キリストの永遠の愛、力、正義に心を向けることが大切なことです。

 

3.確信と希望と慰めの書  

「この預言のことばを朗読する者と、それを聞いて、そこに書かれていることを心に留める人々は幸いである。時が近づいているからである。」(3節)

一世紀の教会が直面したローマ帝国の支配と皇帝礼拝の問題は、時代を超えて現代の私たちの、「教会と国家の問題、偶像礼拝の罪」をあらわにしています。

宗教的権威によって絶対化した国家がどれほど破滅的な道を辿っていくか人類の歴史が証言しています。 

 今、世界の多くのニユースは私たちの心を憂えさせ、暗くします。

世界はどこへ向かっているのかと考えてしまいます。しかし、私たちは神が歴史に介入されること、悪を征服されることを知っています。

「すべてのことの中に天地の創造者であり、全知、全能の神、唯一まことの神様のご計画がある」と知っています。

苦難の時代に私たちは忍耐と、励ましと、神への希望を、どのように繋いでいけばよいのでしょうか。

 使徒ヨハネは諸教会にこの書を朗読することを勧めています。

「この預言のことばを朗読する者と、それを聞いて、そこに書かれていることを心に留める人々は幸いである。時が近づいているからである。」(3節)

この黙示録を学ぶ者には、明らかな祝福があるとの約束です。

聖書はどこを学んでも祝福を受けるのです。しかし、この黙示録を学ぶ者には、神からの明確な喜びと祝福が約束されているのです。この黙示録を学ぶ者は主の再臨を待ち望むことが出来、主が突然再臨されても決して驚かされることはないのです。

当時は、今のように個人が聖書を手にすることはありませんでした。それ故、人々は会堂で朗読されるのを聞いて始めて神の言葉に接することが出来たのです。

声を出して聖書を読む習慣は、みことばが確実に私たちの記憶に刻みこまれます。

認知症予防に効果があるだけでなく、多くの神の祝福を受けることになります。

ヨハネが「時が近づいている」と語っています。私たちに最後の審判と神の国の設立のためにいつも準備をしているようにと勧めています。

私たちはこれらの出来事がいつ起こるかを知りません。それは速やかに起こり、自分の立場を変える機会はないのです。神の前に一個の人間として立たされる時が来るのです。

Ⅰペテロ1章5節、6節,7節

「あなたがたは、信仰により、神の御力によって守られており、終わりのときに現されるように用意されている救いをいただくのです。

そういうわけで、あなたがたは大いに喜んでいます。いまは、しばらくの間、さまざまの試練の中で、悲しまなければならないのですが、

  あなたがたの信仰の試練は、火で精錬されつつなお朽ちて行く金よりも尊く、イエス・キリストの現れのときに称賛と光栄と栄誉になることがわかります。」

 

今年2018年の北赤羽キリスト教会の年間標語は、「聖書は誤りがない神の言葉と信じ、従う教会」です。

ここに私たちの揺るがない信仰の姿勢があります。

この困難な時代を乗り越えるに最もふさわしいことは、「みことばへの信頼」です。

日々、勝利者であるキリストがともに歩んでくださることを信じ、確信をもって歩んで行きたいと思います。

 

© 2024 日本同盟基督教団 北赤羽キリスト教会 公式HP Powered by AFFINGER5