「最初の確信を終わりまで」 ヘブル3章12~15節

新しい年、みことばへの傾聴と聖霊の導きを待ち望みましょう。
1.信仰の洞察 
「神は、むかし父祖たちに、・・語られましたが、この終わりの時には、御子によって私たちに語られました・・」ヘブル書の冒頭のことばです。当時ローマの支配下に置かれたイスラエルの人々は逆境の中にあり、彼らの信仰生活が岐路にあったのです。
「この終わりの時には御子によって」と、目をしっかりイエス様に向けさせています。今日の私たちが置かれている日本の現状を考える時の助けであり、信仰の洞察となります。平和を求め続けてきた人類が今もそれを見い出せません。罪と欲望の連鎖を断ち切ることのできないーあわれな人類の現実です。偶像に溢れる日本です。この正月も全国で虚しい偶像に手をあわせて、真の神への恐れを見失っています。生ける神への信仰の洞察を深め、「イエスは主」との信仰告白こそ不信仰を吹き飛ばすのです。
2.御声を聴く姿勢
「きょう、もし御声を聞くならば、御怒りを引き起こしたときのように、心をかたくなにしてはならない」(15節) 
「きょう、もし御声を聞くならば・・」とのみことばが心に響きます。聖書は「きょう」という日を大切にします。多くの人々は「きょう」という日に絶望をします。旧約の申命記にあるモーセの説教に「きょう」という言葉が58回出てきます。ヘブル書3、4章に「きょう、もし、御声を聞くならば」の忠告が3回繰り返されます。
御声とは、神の声です。みことばを通して私たちの心と魂に語りかけてくる神の声、聖霊の細き御声、イエス様の声です。この終わりの時代が、神様の語りかけを自由に聞き分けることのできる「恵みの時代」であるとパウロは語ります。(Ⅱコリント6:2)
神のみことばである聖書と成就されたキリストの贖いの客観的な事実の上に私たちの信仰が堅く立つようにと勧めています。この激動の時代を「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい」(ヘブル12:2)と語られる如くに、私たちは「イエスは主です」との揺るがない信仰の確信を自らの土台としたいと思います。

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