「すべてが恵みに」 ヘブル2章9~18節

私たちの現実生活の中で主のお取り扱いを体験するとき全てが恵みとなるのです。
1.このお方を
今年もイースターの季節が近づきました。イエス様が、「すべての点で兄弟たちと同じようになられた」(17節)とあります。何よりも「苦しみを経験する」という点で、イエス様は私たち人間と同じ苦しみを、それも極限まで経験されたのです。
このお方をはっきり仰ぎ臨むことができたパウロは、「キリストは神の御姿である方なのに、神のあり方を捨てることが出来ないとは考えず、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられました。・・・」とはっきり証をしています。
ヘブル書2章には「イエス様の3つの苦しみ」が言及されています。
2.主の3つの苦しみ
 まず初めにイエス様は肉体をもたれたための苦しみがあり、2番目に十字架上の苦しみ、3番目は死の苦しみです。私たちと同じ肉体をもたれたイエス様は、私たちが経験するように空腹を覚え、また、のどの渇きも体験され、井戸の傍らにいた女性に「水を求め」ました。また忙しい中で疲労でぐっすり眠ることもありました。イエス様は私たちの苦しみを理解することのできるお方です。
 イエス様の地上生涯は33年、苦しみの連続であり、苦しみの人でした。その苦しみの絶頂は、十字架の御苦しみです。それによって「悪魔という死の力を持つ者を滅ぼされた」と聖書は語ります。「一生涯、死の恐怖につながれて奴隷状態にあった」私たちです。私たちが死に直面した際に、イエス様はそばに寄り添ってくださるのです。
詩篇23篇で「たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません」とあります。もはや死すらも「死の陰」となるのです。死によって打たれることがないというのです。なぜなら私たちの死は、イエス様が十字架上で死を遂げてくださったことで、もう死は「死の陰となった」のです。このようにして死は克服されたことをみます。死は、確かに征服されたのです。死は、「祝福の入口」となり、「天国への凱旋の入り口」となったのです。「あなたはわたしと一緒にパラダイスにいくのだ」と約束されるイエス様です。私たちの「心の葛藤」をよくご存じのイエス様です。

© 2024 日本同盟基督教団 北赤羽キリスト教会 公式HP Powered by AFFINGER5