「神の祝福を受けよ」 ヘブル7章1~10節 

アブラハムの生涯のある日メルキゼデクは1度だけ現われ、彼を祝福しました。
1.メルキゼデクとは
創世記14章にエラムの王が3人の同盟君主と手を組みダン、ネゲブを襲撃、ソドムまで攻め甥のロトも捕虜として捕えられたと知ったアブラハム。彼は同盟を結んでいた隣人と318人の僕を武装させ追撃して勝利を収め、凱旋将軍の如く帰ってきました。その時アブラハムを迎えたのがシャレムの王メルキゼデクです。彼はパンとぶどう酒をもって、「祝福を受けよ。アブラム・・・いと高き神に、誉れあれ」と祝福します。
2.メルキゼデクに等しいお方
ヘブル書はメルキゼデクが義の王、平和の王であると言い、その存在がイエス・キリストに似ていると言及。アブラハムはメルキゼデクにより、この奇跡的勝利は天地を造られたいと高き神のわざと確信、崇めるべきはこのお方であると知ったのです。アブラハムは戦利品の10分の1を捧げ、メルキゼデクはアブラハムを祝福しています。祝福を与える人は、受ける人より上位にあると語り、レビでさえアブラハムを通し、10分の1を収めていると語ります。しかし、この時レビは生まれておらず「アブラハムの腰の中にいた」というのです。こうしてメルキゼデクはアブラハムにも、レビにも勝り、イエス・キリストこそメルキゼデクに等しいお方と、私たちに紹介します。
3.人を富ます神の祝福
 アブラハムとメルキゼデクの出会い、これはアブラハムにとって信仰の高嶺へ導かれる大きなきっかけであったのです。栄光はただ神にのみ帰すべきなのです。箴言に
「主の祝福そのものが人を富ませ、人の苦労は何もそれに加えない」とあります。私の苦労が、私の努力が・・と思い込んでいる私たちの誇りを粉々にするような言葉です。
「主の祝福そのものが人を富ませる」のです。アブラハムはその真実を知ったのです。
聖書は私たちがキリストにあって奮闘することを望んでいます。努力も、その力も全ては主から来るのです。神様の最大の祝福は神ご自身を知ることです。アブラハムはメルキゼデクの祝福の祈りにより高ぶりが砕かれ、神の御名の豊かさに心満たされています。礼拝の最後の祝祷は、まさに私たち一人一人への「神の祝福の宣言」です。

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