「恵みと希望の道」 ヘブル7章11~19節 

ヘブル書から、現代に生きるクリスチャンの立ち位置に目を向けて見ましょう。      
1.祭司のルーツ
 聖書で大切に取り扱われている物の一つに系図があります。ユダヤ人は自分の系図がアブラハムにまで繋がっているかどうかそれは大切な事でした。しかし、私たちは、「イエス様を信じることで神の子とされる」新約の恵みの中におります。血筋、系図は関係ありません。私たちは聖書によりイエス様が「王であり、預言者であり、祭司」であると知っています。イエス様は、王として民を支え、守り、豊かにし、幸せにするのです。そのイエス様が預言者であります。それは神の言葉を預かって、人々に神の言葉を伝えるからです。イエス様は大胆に、解りやすく、権威ある者のように語られました。そしてイエス様は大祭司であられます。祭司の働きは、神と人とを結びつけることです。メルキゼデクに等しい偉大な大祭司です。旧約時代の祭司はレビ族から出ました。それに対してイエス様はユダ族であり、ユダヤ人はこの点で反発、ヘブル書はこの点からイエス様が「メルキゼデクに等しい大祭司」であると証明します。
2.贖いを成し遂げた大祭司
 レビ系の大祭司は、贖いを完成させることは出来ませんでした。レビ系の祭司たちが民に代わって罪の赦しを求め犠牲の動物をいけにえとして捧げる行為は、生ける神の小羊となってこられた「救い主」を指し示す型であったのです。家を建築する際に設計士は図面や青写真を作ります。それは建物が出来上がるまでとても大切な物です。
しかし家が完成すると、それらは必要なくなります。それが律法であり、律法によって立てられた祭司の働きです。
ここに二つの道があるのです。一方は律法に生きる道、もう一方は恵みと希望の道です。前者はレビ族の祭司の道、後者がメルキゼデクに等しい大祭司、イエス・キリストによるさらに優れた希望という新しい道です。この素晴らしい道は「朽ちることのない、いのちの力」に基づいているのです(16節)。私たちは、掟に縛られて生きるのではありません。こんな私を愛し、憐れんでくださる神の前に喜び、感謝、平安が溢れているでしょうか。それを知って「そうしないではおられない」と律法でなく、神の愛と恵みに応答して生きる幸いがあります。

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