「みこころを行なう喜び」ヘブル10章1~18節

イエス様が私たちの罪を負われたことは、私たちの拠って立つ基盤です。
1.キリストを指し示す影
今日私たちはどのようにして神に近づくことができるでしょうか。それを可能としてくださるのがイエス・キリストです。キリストは私たちの大祭司であり、代表です。キリストは私たちの罪をきよめ、永遠の贖いを成し遂げるためご自身の犠牲の血を携え、神のご臨在の場である聖所に入られました。旧約の方法は、キリストがどのように罪を取り除かれるかを指し示すのです。彼らが捧げる動物の血は影に過ぎません。実物、本体を指し示す影なのです。
2.キリストの完全ないけにえ
旧約時代はその影で満足していました。しかしキリストはこの世界に来て、いけにえやささげものを望まないで・・とある通り、「ご自身のみこころを求める従順さを切望されました。キリストは自らを神に完全に受け入れられる犠牲として十字架上で捧げる為に来られました。神を喜ばせる生き方は律法を守ることでなく、信仰を持って罪を赦され、従順に神の元に来ることです。
3.キリストにある成長
キリストの犠牲は、この世で死なれることで完結、キリストは今、神の右の座におられます。キリストの犠牲はただ一度で、永遠のものです。キリストを信じるとき、キリストは私たちを神の前に完全に正しい者としてくださいます。神との愛の関係が私たちを神に従がいたい、神を礼拝したいという思いへと導かれます。神は私たちの礼拝や奉仕を喜んでくださいます。キリストは私たちをご自分の特別なご用のために聖別してくださいます。この成長のプロセスのために心がけるべきことは、聖書を生活のすべての領域に細心の注意を払って適用することです。キリストが示される原則を受け入れたいと思います。そのために生活の主導権をキリストにお渡しすることです。

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