「最後まで信仰の確信を」ヘブル10章26~35節

ヘブル書の著者は愛を込めつつ、とても強い語調をもって警告をします。
1.愛ゆえの厳しさ
ここで「もし私たちが、真理の知識を受けて後、ことさらに罪を犯し続けるなら・・」これは厳しい警告の言葉です。心の隅々の隠れた思い、隠された罪を暴き立てるような力ある言葉です。私たちが救われたのは一方的な愛と憐れみに依ります。罪赦され、憐れみを受け、救われたとは、驚くべきこと、奇跡です。この恵みに応えて、心を熱くし、主を愛し、仕えることは実に幸いな生き方です。しかし人間的な弱さによって、それを持続することが出来ないで罪を犯し続けることは、「神の御子を踏みつける」ことです。さらに、こんな私のために十字架に架かられた「イエス様の血潮」を汚すことになると警告します。また「恵みの御霊」を侮ることです。聖霊は、私たちがイエス様を信じ受け入れたときから、心に宿って下さり、私たちを導き、励まし、教えて下さっているのです。そこに「神の祝福がある」と教えます。
2.初めの愛に
この当時の迫害や圧迫に悩まされたユダヤ人クリスチャンに、キリストへの信仰とクリスチャンとしての振る舞いを守り通すように励まします。苦しい迫害の中でも最後まで信仰を堅く保ち続けた人々は、その信仰の恵みと実とを証ししました。「あなた方は光に照らされて後、苦難に会いながら激しい戦いに耐えた初めのころを思い起こしなさい」(32節)。この手紙の受け取り人であるクリスチャンたちが、信仰生活をスタートさせた初めの頃はどうであったかと問うのです。古くからの習慣や偶像礼拝、ローマ皇帝を神とする皇帝礼拝が支配する厳しい環境でした。想像を絶する苦難、迫害、試練が覆っていました。しかしイエス様に出会った喜びと、主にある希望が現実の苦難に勝っていた、これが彼らがイエス様を信じたときの初めの姿なのです。

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