「忘れない、でも赦されている」 ヘブル8章7~13節 説教:柴田智悦師(横浜上野町教会牧師)

 主は、「もはや、彼らの罪を思い出さない」(ヘブル8:12, エレミヤ31:34)、と言われますが、「罪を忘れる」と言われているのではありません。
 主は、私たちの罪を「決して忘れない」(アモス8:7)お方ですが、それは、自分たちや先祖たちの罪を思い出させるためです(エゼキエル20:30)。
 私たちは、過去の歴史を心に刻み、心からの和解を求め、二度と同じ過ちを繰り返さないという謝罪と決意を表明し続けるべきです。
 エレミヤはバビロン捕囚の期間が70年であると預言しました(エレミヤ25:11,12,29:10)。そのとき主は「新しい契約」を結ばれると言われます。
 それは、石に刻まれた契約でなく、一人一人の心に律法を書きつける、新しい契約が結ばれる時代が来るということです。心に植え付けられたみことばをすなおに信じることが大切です(ヤコブ1:21)。
欠けがあったのは、初めの契約の相手である人間とその行いです。
 ところが、主は契約そのものの不十分さを問題にされ、無条件の契約として新しい契約を結ばれ、それが破られ無効となる可能性を取り除き、必ず成就する契約とされました。その契約こそ、イエス様が十字架で流された血によって結んでくださった契約です(マタイ26:28)。新しい契約は私たちの心に刻まれ、そのしるしはイエス様の血です。古い律法と儀式に基づく契約はイエス様によって完成されました(ローマ10:4)。 ですから、古い消えるべきものにもう一度頼る必要はありません。
 私たちは、聖餐式ごとにその新しい契約書を読んで、味わい、自分のものとして確認しているのです。
ところで、天の父はひとり子イエス様の十字架の死も、その原因となった私たちの罪も、必ず覚えておられます。しかし、同時にそのイエス様の血のゆえに、「彼らの罪を二度と思い出さない」と言われた約束もお忘れにならないのです。新しい契約に生かされている恵みに感謝し、ご聖霊によって心に記されているみことばに従い、御心に適った歩みをさせて頂きましょう。

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