「理性を越え神の真実に」 ヘブル11章11,12節 創世記18章11~15節

アブラハムの末であるイエス様のご聖誕を迎え、心から感謝し、黙想しましょう。
1.神の確かな約束(奇跡の信仰)
 アブラハムの妻サラは、その年が過ぎた身であるのに子を宿す力が与えられました。その間のいきさつが創世記18章にあり、3人の主の使いが訪れ、アブラハムとサラは年齢的、肉体的、現実的限界を訴え、子どもが生めるのかと笑います。「主に不可能なことがあろうか、来年の今頃、男の子ができている」と告げられたサラは恐れを覚え、自らの不信仰な笑いを悔い、約束された方を真実な方と信じます。信仰とは、私たちの弱さを超えて働く神の御力により頼み、信じることです。神への絶対依存の信仰です。
2.真実な神に目をとめよ
 「神を信じる人」とは、神の真実を確信して、その約束を堅く握りしめ、実際に行動に移す人です。約束された方は真実な方と認め、その信仰に生きる人です。聖書は私たちに対する神様の約束の本です。聖書は神の真実を声を大に語ります。「主よ。あなたの恵みは天にあり、・・あなたの真実は代々に至ります」(詩篇36:5)「私たちが滅び失せなかったのは主の恵みによる。主のあわれみは尽きないからだ・・」(哀歌3:22)。
3.信仰生涯の確信
 イエス・キリストは信仰の創始者であり、完成者であります。信仰は神様の賜物ですから、それを受け入れキリストの側に「私たちの意志をおく」ことが必要です。私たちの全存在をかけた意志です。忍耐強く、熱心に、ひたすらに信じようとする意志です。パウロは、アブラハムの信仰生涯について、「アブラハムは百歳、サラは胎の死んでいるのを認めても信仰は弱りませんでした。信仰がますます強くなり、・・「神には約束されたことを成就する力があることを堅く信じた」(ローマ4:19-21)と記しています。信じるとは理性を超えて、神の真実に自分の命を、自分の生涯を賭けることです。約束してくださった方は真実な方ですから、信仰から約束へ、さらに約束された方の御旨へと目を向けることです。信仰の持ち主の元に神様は長く留まられる客人として来られ、まことの笑いと祝福を満たしてくださるのです。「見よ、神の幕屋が人とともにあり、神が人と共に住み、他人は神の民となり、神自ら人と共にいます。」(黙示録21:3)。

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