「弱さを克服し、神に感謝」 ヘブル11章32~34節

1.弱さを持つ信仰の勇者たち
11章で取り上げられた人々は、誰もが人間的に弱さ、欠点、失敗を持つ私たちと同じような人々です。今日の個所の人々もそうです。ギデオンは神様から突然声をかけられつつ、震えていた臆病者で、バラク、サムソン、エフタたちも態度と行動、浅はかな言動が目立つのです。ダビデは立派な信仰者であり、イスラエルの王とされつつ、姦淫と殺人の罪を犯しました。いろいろな弱さ、足りなさ、欠点、失敗を抱えています。私たちも同じであり、劣等感にさいなまれています。この弱さに悩まされた一人はモーセです。しかし、神は「あなたは、わたしの目に高価で、尊い。わたしはあなたを愛している」と語ります。
2.弱さの克服
クリスチャンになり、これまで以上に新しい問題に直面し、そこに信仰の戦いを覚えます。
大伝道者パウロも、四方八方から苦しめられ、途方に暮れ、迫害され、倒されています。
「いつも喜んでいなさい」と語ったパウロからはとても考えられない光景です。しかしもう一方では何と「窮することがありません。・・・見捨てられることはありません、滅びません」と宣言するのです。まさにそれは天地万物を創造され、自分を愛しておられる主がともにおられることを認め、主に信頼していたからです。神の御言葉を握りしめ、神を見上げてください。
3.謙遜な者に
モーセは劣等感に悩まされましたが、主のことばを受け入れ、神に従がう決意をしたときから、それまでの劣等感は消え、その苦しみから解放されました。聖書は、このモーセを誰よりも「謙遜な者」と語ります(民数12:3)。謙遜な人は自分の弱さ、欠点をよく知り、そこから神を見上げます。そして豊かに神に用いられても誇ることをしません。その力がすべて神から来たことを知って、栄光を神にささげるのです。パウロは、主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。」と語ります。弱い者なのに強くされ、ますます謙遜な者とされましょう。

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