「とこしえの道」  ヘブル11章35~40節

信仰に生きるとは、この世で困難と苦しみが伴う中、なお神のご真実を体験するのです。
1.信仰の躓き
今朝の聖書を見ると多くの信仰者があざけられ、むちで打たれ、石で打たれ、苦しめられ、とあります。旧約時代の預言者エレミヤも混沌とした社会に涙を流しながら、神の裁きを宣言するように導かれ、大変な苦しみの中で預言をしたのですが石で打ち殺されます。イザヤもまた、のこぎりで体を引き裂かれたのです。それほどの苦しみを通り、信仰によって大胆に証をしました。私たち日本人が宗教に求めるものはご利益です。真の神を恐れることがなく、この世の富に心が向いています。ご利益が得られないとすぐに呟きます。恐るべきことが身近に起こると心は平安を失い、嵐に見舞われます。信仰的な躓きに陥るのです。
2.逆転の価値基準
歴史の中で多くのクリスチャンが過去において、現代も、まさにこの瞬間もヘブル書にあるような困難と逆境の中で命がけの信仰を告白しています。信教の自由が保証されていない国では多くの試練の中で、真剣に神にすがり、真の信仰を貫こうと必死に祈っています。
想像を絶する苦しみの中、信仰の躓きを覚えるどころか、ますます信仰に燃やされ、神を愛し、神の栄光を現わす者と変えられ、神中心の生活に方向転換しているのです。
3.さらにすぐれたもの
さて旧約の信仰者たちは、さらにすぐれたものに心の目が向いています。それはイエス・キリストのことです。彼らは地上の生涯で多くの苦しみを経験し、キリストが来られる前に死にました。キリストにより与えられる恵みは得ることが出来ませんでした。しかし神が約束された永遠の家、天国を見つめています。彼らの信仰による意識は、地上の命はつかの間、仮のものと知り尽くしています。イエス・キリストの十字架は、全ての時代の信仰者に「天国への道」を切り開いています。私たちも、「私のすべてはイエス・キリストです」と告白しましょう。

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