「シオンの山へ 愛と憐れみの満ちる所」ヘブル12章18~24節

ヘブル12章18~24節
8月21日 
増田清世牧師

この聖書箇所に2つの光景が対照されております。
1.シナイの山より、古き律法の時代を超えて
神は、モーセにシナイ山で十戒を授けられました。その時の光景が、出エジプト19章です。手でさわれる山はシナイ山、燃える火、黒雲、暗やみ、あらし、ラッパの響き、ことばのとどろきは「聖なる神の威厳と力」を示します。十戒の1~4戒までは神との関係、5~10戒は隣人との関係、自分との関係です。十戒は、私たちの本当の姿を映し出します。心を、動機を見られる神の前で自らの誇りも自信も粉々に砕かれ、それを実行できない自分を見るのです。神との関係が崩れ、人を裁き、憎み、怒り、妬み、苦々しい思いに生きる私たち。私たちはこの神の厳しさ、きよさに触れる必要があるのです。
このシナイ山に象徴されるのが十戒という古い時代の現実です。
人間から隔絶した聖なる神と、神の前に恐れおののく人間の姿です。
2.シオンの山へ 近づく魂のふるさと
聖書は私たちに、神のきよさに触れ、震え上がったシナイ山から、
シオンの山に移るように勧めるのです。シオンの山は、イエス様がすべての人類の罪のために十字架に架かり、復活された勝利の山です。神の怒りを取り去って、神との新しい関係を人々に切り開いてくださったのは、新しい契約の仲介者イエス様です。イエス様の贖いにより、今や私たちは臆することなく神に近づき、神を親しく「アバ、父」と呼ぶことが出来ます。
イエス様の十字架は、この私のためであったと信じる者は、新しい恵みの時代に生かされるのです。生ける神の都、天にあるエルサレムは神が常におられ、神の民とされた者が常に住まう天の都です。涙も死も苦しみも叫びもない、全てが新しく麗しい世界です。「近づいている」とは、ともにある、その一員とされている意です。現時点では、神の都の全貌は明らかではありません。しかしすべてのクリスチャンは、その市民としての特権と栄誉と恵みが約束されています。イエス様の十字架の血潮は、私たちのために赦し、救い、和解を満たしているのです。聖書は、私たちが今近づいているのは恐怖ではない、神の国、天のシオンに向かって希望に生きるのだと語ります。この恵みに留まり、死に至るまで忠実でありたいと思います。

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