「積極的な信仰の道」

7月17日 礼拝説教要約
ヘブル12章12~17節
増田清世牧師

旧約の聖徒の信仰の歩みがマラソンのような競走に譬えられています。

1.主がともに歩む道
ヘブル11章では旧約時代のノア、アブラハム、モーセといった人物の勇敢な信仰の生きざまが詳しく記されています。続く12章を見ると、彼等が想像を絶する困難と試練に直面した際に、それをどのように受け止め、信仰を発揮し、神の御旨を確信するに至ったかが解き明かされています。聖書は、信仰者の苦しみ、試練は愛するがゆえに与えられる「父の訓練」であると励まします。ですから主の懲らしめを軽んじてはならないのです。主に責められて弱り果ててはならないのです。試練の中に隠されている、父なる神の愛を思い起こしたいと思います。主は私たちを背負って導かれます。私たちは主に導かれて、まっすぐな道(正しい道)へと導いていただくことが出来るからです。

2.神の恵みから落ちない道
 私たちの信仰生涯にもいろいろな障害、妨げが起こってきます。
なかでも厄介なのは外からではない、内側に起こる「苦い根」です。これはねたみ、不品行、不一致といったものです。これに悩まされると、最も親しい主との交わりにも影を落とすようになります。私たちは、その原因が自分自身の内側に根を張っていることに気付かないでいます。私たちは、それを神のみことばと聖霊によって、心の傷をいやしていただくことが出来ます。それによって「友を赦す」ことが出来るのです。「神の恵みから落ちないように、赦す」ことです。

3.完成に向かって
 最後に15節を見ると「そのためには、あなたがたはよく監督して、だれも神の恵みから落ちないように・・・」と、あります。
どんなスポーツでも監督の存在は大きいです。聖書では監督は牧師の別名として用いられています。牧師は群れの一人一人が神の恵みから落ちないように、一人一人を励まし、守り導く使命が託されているのです。ピリピ書を見るとパウロは、教会の兄姉方と一致・協力して麗しい教会を形成しております。そして、キリストにあって励ましがあり、愛の慰めがあり、御霊の交わりがあるなら、「私の喜びが満たされるように、主にあって一致してください」と励ましています。
ここに大人のクリスチャンとしての信仰の道があります。

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