「信仰の高嶺へ」 ヘブル11章9,10節 創世記12章1~3節

神が約束された地に他国人のように住んだアブラハムの信仰を考えてみます。
1.信仰による展望
 アブラハムが相続財産の約束を受けたとき、「受け取る」という約束であり、現実に土地を所有していません。彼の魂は、祝福の望みに全く信頼し、神の約束を信じました。信仰の展望であり、先取りです。「アブラハムは主を信じた」(創15:6)とある通りです。生涯を貫いて天幕生活をします。「堅い基礎のある家には住まない」というのです。パレスチナの地を移動して歩き、彼等の中で彼らのものでない生き方でした。彼が生涯天幕生活にこだわったのは堅い基礎の上に建てられた神の都を待ち望んでいたからです。天に憧れ、永遠の住まいに希望を置く人は地上生涯を輝いて生きます。
2.信仰による強さと自由
 天幕生活は非常に厳しい荒野の生活です。絶えず「神に聴く」必要がありました。
私たちがこの世に生きながら神の民として生きることは実に困難なことです。いろいろな戦い、妨げ、試練が起こります。世の人はクリスチャンを弱い人と見ます。しかし神に信頼して生きる、神に頼って行くことは実にすばらしいのです。神様以外何ものをも恐れません。本当に助けてくださるのは「まことの神様」です。そこに信仰に生きる「真の自由」があり、主にあって「強く、たくましく」生き抜くことが出来ます。
3.信仰による祝福の民として
 神様はアブラハムを召しだし、約束の地に導かれ、神に従がう「祝福の器」として用いようとされます。こうしてアブラハムは行く先々で「祝福をもたらす人」として生きます。旧約時代の族長であったアブラハムは、当時の遊牧民の習慣として、客人をもてなすことをしました。あるときアブラハムは3人の旅人の姿を見て、ただの人でない「神の人」であると分かったのです(創18:1~4)。
 私たちも、会う人ごとに「祝福を持ち運ぶ者」です。私たちもこの世にあって、この世の者でない生き方をしています。堅い基盤の上に建てられた神の都に目を据え、天国への旅を続けている者です。聖霊の助けを頂きながら、祈りつつ、一日一日祝福の民としての歩みを継続させていただきたいと思います(Ⅰペテロ3章9節)。 

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