イスラエルの民をエジプトから導いたモーセとイエス様についての言及をみます。
1.天の召しにあずかる
「天の召しにあずかっている聖なる兄弟たちへ・・」とあります。神様の召し、呼びかけに応答する人々をさします。その群れを聖書は「教会」と呼びます。エクレシアという言葉です。神によって呼び集められた群れの一人一人が「神の教会」です。
2.神の前に忠実な器
2節で「モーセが神の家全体のために忠実であった」と。モーセは旧約聖書に出てくるイスラエルのための神の指導者です。モーセには姉のミリアム(女預言者)と兄のアロンがいました。なんと2人はモーセを妬んだのです。モーセは2人の非難を耳にしました。反論も自己弁護もせず、モーセは黙って、すべてを正しく裁かれる神に委ねています。実に賢いことです。この非難の言葉を「主は聞かれた」のです。モーセが如何に神の前に忠実であったかが民数記12章に詳しく記されています。エジプトから脱出するため、イスラエルの民百数十万を率いて40年間荒野を旅しました。
そのモーセの姿は、神の家に仕えるもっとも忠実な「神のしもべ」でありました。
3.神の家を治めるお方
さて6節に「キリストは御子として神の家を忠実に治められる」とあります。ヘブル書は、「キリストはモーセよりも偉大なお方である」と語ります。モーセが仕えた神の家とはイスラエル民族です。神様は、多くの民族の中からイスラエル民族を選ばれました。この民が優れていたのでも強力であったのでもないのです。もっとも小さな無力な民族でした。この民族を通し、神の大いなるみわざを現わし、体験させようとしました。しかし彼らは、この神の選びの目的を誤解し、神に逆らい続けました。
そこで神様がなお深いご計画のもとに「神の家族」を呼び集めるようにされたのです。
6節後半に「もし私たちが、確信と希望による誇りとを終わりまでしっかり持ち続けるならば、私たちが神の家です」と。新約聖書に見るクリスチャンの群れ、教会の姿なのです。「教会はキリストのからだであり、いっさいのものをいっさいのものによって満たす方の満ちておられるところです」とあります。(エペソ1章23節)
「神の家を治めるお方」 ヘブル3章1~6節