「神の安息への招き」 ヘブル4章1~11節

世の困難に対峙する1世紀のクリスチャンたちへの警鐘と励ましを見ます。
1.神の安息に向かって
神が私たちに蓄えてくださる祝福、神の安息が示されています。3章では詩篇95篇の引用からイスラエルが神の安息に入れなかったのは不信仰の為であったと語ります。
しかし4章で、まだ神の安息に入る約束が残っていると、私たちにも有効であることが示されています。注意深く、恐れる心を持つことです。ヨシュアとカレブだけが困難な現実の中で、神の約束を受けとり、信頼し、前進したのです。
2.信仰によって結びつける
 問題が起こるとそれだけが大きく見える私たちです。みことばを何度も聞いていたにもかかわらず、それが信仰によって結びつけられていませんでした。聞いたみことばが信仰によってブレンドされなかったのです。聞いたみことばが益にならなかったのです。神の安息に入るとは、みことばが私たちの生活にブレンドされる状態です。
3.神の安息への招き
 神様は私たちを神の安息に招いておられます。神様は創造のみわざを6日間で終えられました。夕があり、朝があったとの言葉で綴じられています。そして7日目の神様が休まれた安息は「夕があり、朝があった」で綴じられていません。神の安息がそれ以来今も続いているのです。創造のみわざはもう終わりましたが、この世界を保ち、生かし、導く神の摂理のみわざは今も継続しています。神様が創造されたすべてのものを楽しみ、喜んでおられます。「あなたはわたしの目に高価で尊い」と語られる、これが「神の安息のお姿」です。モーセの後継者ヨシュアは民を本当の安息に導くことはできませんでした。この時から3000年が過ぎた今も、あの約束の地パレスチナは尽きることのない戦いの連続です。イスラエルの挨拶はシャローム「平安があなたにあるように」と、平安をことさらに願い、祈るのです。私たちを真の平安に導かれるお方は新約のヨシュアであるイエス様です。イエス様こそ「疲れた人、重荷を負っている人はわたしのところに来なさい」と私たちを神の安息に導かれるお方です。ですからこの安息に入れるように力を尽くして、落後することがないようにしたいものです。

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