「福音のチャレンジ」 マタイ7章7節 梅田信神学生

1.求める
私たちが神に求める時はどんな時でしょうか?私たちは様々な場面で神に求めるという行為を行います。しかし、神に求めてもときに与えられないときが多々あります。私たちが必要だと思われることを私たちが神に求めるときに、神様はすべてを聞いておられます。その中で神様が本当に必要だと思うものを私たちに与えてくださいます。私たちはそれを神様から与えられたものだと自信を持ち、ただ神に信頼することが大切なポイントです。
2.捜す
ここで言う捜すと言う行為は、文字通り何か問題があった時に神に祈り求めているだけでは何も始まらない、むしろ自分自身で解決を捜さなくてはならない。ということも指していますが、それ以上に、主を捜しなさい。ということを語っています。
私たちは主を見失って失望した時に捜さなくてはいけません。そして見つけ出したとき、主は私たちに必要なものを与えてくださいます。
3.叩く
これはもちろん問題の解決策が与えられ、それを実行することに対して勇気ずけている言葉でもあります。しかし、その他に天の門を叩く者は誰もが救われるという意味でもあります。
しかしただ叩けば開かれるわけでもありません。まず与えられ、そして見つけだし、開かれるのです。私たちは神の存在を求め神が存在するという事実を与えられ、神を信仰するために神を捜し、正しい神を見つけ、その神と共にいたいがために、門を叩き、天の御国への門が開かれるのです。
3つの求める、捜す、叩くということをそれぞれ見てきましたが、この3つに共通しているものは言語のギリシャ語では現在進行形で書かれていることです。つまりこれは私たちに向けられている愛の招待状です。私たちは信仰生活で多くの困難があります。その時にこのマタイ7:7節を思い返し、神様に信頼し、神様に頼って行動したいものです。

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