「語りかける神」 ヘブル3章14、15節 ヘブル1章1~3節

「神は語られました」とヘブル書は始まっています。
1.神はどのようにご自身を現わされたか
「神は、むかし父祖たちに、預言者たちを通して・・・語られました」と、多くの手紙には著者名がありますが、ヘブル書は著者不明です。この手紙は旧約聖書の教えを背景にユダヤ教徒からキリスト教徒になったユダヤ人に向けて記されており、ヘブル書と言われます。信仰ゆえの激しい迫害、間違った教えに惑わされる時代の中で、
「信仰の灯が今にも消えそうになっていく」、元のユダヤ教に逆戻りしそうなクリスチャンの現状を知って、この書は「信仰にしっかり踏みとどまる」ことを勧めています。
苦しみの中「信仰の基本の基本」を見失いかけ、見るべき焦点がぼやけている人々に、ヘブル書全体を通し「キリストを見なさい」「キリストに焦点を合わせ」「キリストがどういうお方」かを見失わないようにと語るのです。(ヘブル12:2)
2.荘厳な語りかけ
 「神は・・・語りました」と聖書の荘厳な語りかけです。人類の歴史は「神を尋ね求める歴史」です。古代から神を尋ね求め、いろいろな宗教、神々を作りだしました。日本にも八百万の神がいるのです。すべて人間が尋ね求めて出来上がりました。
 ヘブル書は全く違う方向から「神が語られました」と宣言します。神様の側から私たちに語りかけてくださった、これを啓示と言います。「ベールを取り去る」の意です。神がベールをとって、「神ご自身を紹介された」、これが啓示、revelation です。
聖書の神様は、「私たちに、あなたに」語りかける神様です。
何も語らないように見える自然界は驚くべき神の語りかけで満ちています。「天は神の栄光を語り告げ、大空は御手のわざを告げ知らせる・・」(詩篇19:1)。
私たちの心は罪を犯し、嘘をつき、悪口を言った時「あんなことしなければよかった」と心がチクチク痛みます。これが良心であり、神の語りかけです。
聖書は「神の語りかけ」で満ちています。この終わりの時には「御子によって」とあり、ヘブル書全体は、神の御子イエス様がどのようなお方かを教えています。イエス様は十字架で犠牲となられ、三日目に甦り、今は大能者の右におられるのです。

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