聖書の言葉が多くの人々の心に影響を与え、その人の人生を変えてきました。
1.聖書は神のみことば
「神のみことばは生きている」とあります。これは私たちの疑うことの出来ない神の真実です。それはまさに「いのちの書」です。第2に神のことばには力があります。ギリシャ語でエネルゲースです。エネルギーということばの語源です。神のことばである聖書には、神の力、神のエネルギーが満ちているのです。多くの人々が聖書のみことばに触れ、新しい人生に導かれて、主の御名を崇める生活に導かれています。第3に神のことばは両刃の剣よりも鋭いのです。たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通すとあります。神のみことばの鋭さに触れると、胸に突き刺さるような体験をします。聖書を読み、説教を聞いて「耳に痛い、心に強く響く」としたら、それは健全な礼拝の姿勢であり、聖書に真摯に耳を傾ける素晴らしい信仰態度です。
2.みことばの前に立つ
聖書によって私たちは自分の本当の姿―神の目に映っている姿―を知らされます。神の目にはすべてが裸であり、さらけ出されているのです。みことばは私たちの心に分け入って、私たちを調べるのです。神は聖書を読む人に、みことばに傾聴する人に豊かに臨まれます。お医者さんの手に握られたメスは、病める人を癒やし生かすためのものです。聖書のみことばも私たちを生かし、私たちを救い、私たちを真に豊かな者とするためにあるのです。聖書に触れるまでは、自分はそんな悪い者ではないとか、結構ましな人間とか自分で自分を測っていました。しかし聖書という両刃の剣、鋭いメスが隠れていた罪を炙り出します。罪を罪とも思わず平気でいた者を新たな光の下に導くのです。自分という存在の醜さを知らされ、自覚させられるのです。これは苦しくもあり、辛い、痛いことです。しかしここを通らなければ、神様のみことばが、私たちを造り変え、私たちを新しく生かすことが出来ないのです。みことばは私たちの心に迫って、鋭く刺し通し、私たちを変える力があります。人を変える神のことばを聞きながら、それを拒み、心をかたくなにしたのがイスラエルの民でした。ですから繰り返し、繰り返し「きょう、もし御声を聴くなら・・」と強く忠告されています。
生きて働く神のみことば ヘブル4章12~13節