聖書は神のことば Ⅱペテロ1章20~21節  説教:中村 孝師(元ウイクリフ聖書翻訳宣教師) 

「それには何よりも次のことを知っていなければいけません。すなわち、聖書の預言はみな、人の私的解釈を施してはならない、ということです。
なぜなら、預言は決して人間の意志によってもたらされたのではなく、聖霊に動かされた人たちが、神からのことばを語ったのだからです。」Ⅱペテロ1章20、21節 
今日のテキストは聖書について書かれているところです。20節には聖書の預言はみな人の私的解釈を施してはならないと書いてあります。いろいろな私的解釈が考えられます。例えば、私が「イエス・キリストは処女降誕をしなかったかもしれないが、イエス・キリストが神であることを示すためにそのような物語が書き残されたのではないだろうか?」と考えるのであれば私は私的解釈をしていることになります。聖書には「イエス・キリストは処女降誕をなさった」と明確に書いてあるのですから。
私的解釈をしてはいけない理由が21節に書かれています。聖書の預言は決して人間の意志によってもたらされたのではないということです。人間が人間の知識によって書いたものではなく、聖霊に動かされた人たちが神からのことばを受けて語り、書いたというのです。聖霊は神です。神が人間を動かし、神からのことばを間違いなく書けるように書く人々を守り導いてくださったと言うのです。ペンを持って書いたのは、人間です。しかし主導権をもっておられた神が真の執筆者というのです。聖書は神のことばです。人間の知識をはるかに超えた全能の神のことばです。
 Ⅱテモテ3章16節にも同じ内容のことが書かれています。「聖書は全て神の霊感による」と書かれています。「霊感による」ということばは、「神の息による」とも、「神の霊の導きによる」とも訳されていることばです。神の直接的介入を意味しています。聖書は、神ご自身によって書かれましたと言うことです。
聖書は神のことばであり、私たちクリスチャンの信仰の土台です。今も世界中で翻訳の働きが続けられています。2012年の11月末現在の統計によりますと、翻訳されました言語と現在翻訳進行中の言語を合わせますと4873言語になります。
翻訳の働きを神が守り導いておられることを強く感じます。
私たち日本人にはすでに聖書が与えられています。感謝なことです。

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