ヘブル書はイエス・キリストの一回限りの十字架の贖いを強調します。
1.天にあるもの
地上で造られた神の幕屋とか神殿、そこで用いられる器などは天にあるものを指し示すための模型であると言います。地上の幕屋が現実に天にあるものの写しであり、象徴であるというのです。私たちの前に現われてくださったイエス様が私たちの主であり、救い主であられます。イエス様は地上の幕屋ではなく、天そのものに入られ、今も私たちのためにとりなしておられます。
2.ただ一度だけの贖い
ヘブル書は、イエス様がただ一度だけご自分を十字架に捧げられたと、一度限りの贖いの恵みゆえ、罪の赦しと救いの道が開かれたことを強調―キリストは、ただ一度だけこのことを成し遂げられた(ヘブル7:27,9:12,25,26)。主にある私たちはキリストが死んでくださったゆえに霊的な死を経験することはないのです。「今の世の終わりに」と、キリストが旧約聖書の預言を成就するためにこの世に来られる時を示します。私たちは、この世の終わりの時に生きています。主の日は始まっており、キリストが再び来られ、贖いが完了します。
3.神に会う備えを
聖書は、人間には一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっていると語ります。一度死ぬことを誰もが知っていますが、その後どうなるのか詳しく知っていません。聖書だけが「死後に裁きを受ける」と警告をします。。死を迎えると、肉体はそれが造られた土に戻ります。しかしこの私と言う「存在」霊とか人格は肉体を離れて、神のさばきを受けるのです。アモスは「あなたはあなたの神に会う備えをせよ」と勧めます(アモス4:12)。私たちの罪を負って身代わりに十字架上で死なれ、神の罰を受けられたイエス様を信じることです。この方以外に救いはありません(使徒4:12)。イエス様がもう一度おいでくださる時代に生かされています。多くの人々が無関心、嘲笑する時代に、私たちは「心の目」を覚まして、主を待ち望みたいものです。
「主にある確信と平安」ヘブル9章23~28節