「嵐を静めるイエス」 マタイ8章23~27節  教団総主事 山村 諭牧師

「なぜこわがるのか、信仰の薄い者たちだ。」それから、起き上がって、風と湖をしかりつけられると、大なぎになった。マタイ8章26節
1.イエスに従い舟に乗る
 主イエスは向こう岸に行くために,舟を用意するようにお命じになり,そして舟の用意が整いました。用意された舟は,漁師であった弟子たちが使っていたような馴染みの舟だったでしょう。イエスが舟に乗り込むと,弟子たちも「従った」とあります(23)。
2.嵐を経験する舟
 イエスに従う舟旅がはじまりました。舟がガリラヤ湖を進むと,突然,大暴風に見舞われます。舟は大波に翻弄され今にも転覆しそうです。そんな状況下で「イエスは眠っておられ」ました。弟子たちは動揺して恐怖に包まれています。
3.嵐を静めるイエス
 弟子たちはイエスを必死で起こし,「おぼれそうです!」と訴えます。主イエスが共におられても,主の力に信頼できません。主は眠っておられる。神は行為されない。弟子たちはそう思っています。しかし主は恐れから開放され平安を保っておられます。嵐を知らないわけではありません。同じ舟で,同じ状況にさらされています。弟子たちは主イエスに「信仰の薄い者たち」と指摘され,「黙れ,静まれ」との主の言葉を聞きました。そこで自然までもがイエスに従うことを目の当たりにしたのです。旧約聖書によれば波を静めるのは神の御業でした(詩篇107:23ff)。主を呼び求めた弟子たちは,神の御業を見たのです。
4.舟には驚きが
 舟には驚きが起こりました。弟子たちは,主イエスに従い乗り込んだ舟で,その偉大な力を目の当たりにし,「主がここにおられる」ことを経験しました。主が共におられるのに,主への信頼を忘れてしまう弟子たちですが,共に舟に乗る者たちは偉大な主の御業に驚き,主の臨在を喜び感謝するのです。教会は主イエスが乗っておられる舟です。嵐で沈んでしまいそうな小舟です。しかし私たちはそこで主の大いなる御業を経験するのです。舟には驚きがあります。私たちの信仰を増し加え,さらに従う者とさせる主の驚きを,いつも経験させていただきましょう。

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