「最初の確信を終りまで」 ヘブル3章14節  11章13~16節

1.信仰による生と死
 2015年の歩みが主の憐れみによって守られ感謝です。神の恵みが満ちていました。多くの神の助けが、励ましが、慰めを経験しました。旧約聖書を見ると信仰の先達たちは、信仰の人々として死んだ、とあります。彼らは何よりも真実な神様の約束を信じて生き続け、死に際して「死は生涯をともに歩んだ神様の御前により近く進むことである」と考えていたのです。天の御国へのビジョンを失うことなく、信じ続けた信仰者の生きざまであるのです。
2.確信に生きる
 彼等は神の約束のみことばへの確信に生きました。私たちが持つ確信とは、聖書のみことばの約束が根拠となっています。私たちが確信していることは、イエス様を信じて罪赦されている、神の子として永遠のいのちがあること、聖霊なる神が心に宿っている、天の御国に国籍が与えられている・・・その恵み、祝福はあふれるほどです。キリストを知り、キリストを知らしめると言われます。約束のものを全て手にいれてから天に行くのではないのです。手にいれないままで天国で完成の時が来ると、その時を期待し、仰ぎ見ながら生きるのです。
3.希望の告白に生きる
 彼等は、この地上では旅人であり、寄留者であることを告白し、自分たちの国籍は天国にあると信じました。ですから天幕生活をして、それを仮の住まいと考えました。
天にこそ、神が設計し、建てられた永遠の都があると希望を告白しています。私たちもこの「姦淫と罪に満ちた時代」に神の国をめざすクリスチャンでありたいと思います。
4.信仰の忍耐に生きる
 最後に神に喜ばれる人とは、耐え忍ぶ人です。神は信仰の故に受ける戦い、困難を耐え忍び、忍耐する人々を祝福されます。聖書に出て来る信仰者はみな恥ずかしい過去、失敗、弱さ、傷ついた人たちです。自らのうちに誇るものがなく、神の憐れみと恵みによって、深い悔い改めの中から主の御名を呼び、赦しときよめを体験しました。

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