「望みを抱いて喜び」(その3)―神の祝福に生きるー

 ヘブル11章20~22節

アブラハムへの神の祝福は、次の世代にしっかりと受け継がれています。
1.神の祝福の中に希望を抱いて
イサク、ヤコブ、ヨセフ3人の信仰への言及です。彼らの生涯は波乱に満ち、激動の生涯でした。ヘブル書は、それぞれの死を目前にしたときに焦点を当てています。ヤコブとエサウを祝福したイサク(20節)、ヤコブもヨセフの子どもたちをそれぞれ祝福、自分は杖に依りかかって礼拝(21節)。若い時から試練の連続であったヨセフは自分の骨について指図しました(22節)。彼らは神の約束を信じ、疑いません。決して現状に絶望せず、望みを抱いています。
2.神のみ思いを心に刻む
ヘブル書の著者を導かれる聖霊なる神は、私たちの人生に何が大切で、何を求めるべきかを教えています。それは、神の祝福に与ることです。信仰を持って神の道を思い、神の声に耳を傾けるようにと勧めます。神を求める時、神はその恵み、喜び、祝福を満たしたいと立ち上られるのです。神のみ思いを信仰生活の中でいつも深く心に刻んで歩むことです。
イエス様は求める者にその恵み、祝福を分け隔てなく、すべての人に満たしてくださいます。
3.祝福される信仰継承
生けるまことの神様は、アブラハムを祝福の基とされました。アブラハムが受けた神の祝福がしっかり次の世代に受け継がれていることに神は注目しています。麗しい信仰継承の在り方が見えます。神の祝福に生きると言うことを願って、イサク、ヤコブ、ヨセフは確かに神を見つめ、神の祝福に生きたことの証を立てています。エサウのように神の祝福を軽んじ、肉の思い、肉の満足を求めることを優先していないでしょうか。神の前に富まないとは、神の祝福に生きない人のことです。神の前に富む者は、「神の祝福を喜びとする」人です。主の祝福そのものが人を富ませるのです。私たちは次の世代に何を残していくのでしょうか。
神の祝福を信仰の手を伸ばして受け取る人生が、次の世代に価値あるものを遺産とすることが出来ます。信仰による人々が、アブラハムとともに祝福を受け取ることが出来ます。

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