「この素晴らしい救い」 ヘブル2章1~4節

このヘブル書に示されたイエス様の救いの素晴らしさを見ましょう。
1.心を留めるべき福音
イエス様の十字架の道はイエス様がご自分の意志によって取られた道です。当時の宗教家や指導者は妬みからイエス様をなきものにしようと立ち上がったのです。イエス様は人々の仕掛けた罠に自ら入っていきました。一切の抵抗も反論もなく、黙々と十字架の道に向かわれたのです。十字架そこには恐怖、苦しみ、痛みがありました。
イエス様がそこで死なれることが神の御旨でした。私たちは誰もが罪人です。ですから私たちはみんな生まれながら神の怒りを受けるべき存在でした。神は正しいお方、神は罪を見逃すことのできないお方です。同時に神は愛に富んでおられるお方です。
この神の愛と義を満たす方法はただ一つ、神の御子が人となり十字架に架かられることにあったのです。イエス様は永遠、無限のお方、このお方により罪赦されるのです。
2.幸いな生き方の原則
 初代教会の人々は律法が御使いたちを通して神様が与えてくださったと理解しています。ユダヤ人たちは旧約聖書によって自らの生活を律しています。ユダヤ人だけでなく、クリスチャンにとっても十戒の教えは、神様に従って生きる生き方を方向づけるものです。十戒の前に立つとき「ああ、自分にはこんな罪がある」とわかるのです。
それは神様が望んでおられる「幸いな生き方の原則」です。こうして御使いたちを通して与えられた律法の尊さ、それに勝るイエス様の福音が幾倍も尊いと、語り、こんなにすばらしい福音をどうして粗末に扱うことが出来るでしょうと語ります。ここで霊的な無感覚の恐ろしさが示されています。この恵みのメッセージはイエス様が直接語られ、それを目撃し、聞いた使徒たちが新約聖書に書き留めました。神ご自身がしるしと不思議な力あるわざを行ない、その中で最大のわざは主の復活です。私たちにとって大切なことは、その教えを心に留め、聴くことです。心に留めるとは、私たちの日頃のデボーションで大切な姿勢です。イエス様の母マリヤは、御使いの告知を受け、「いったいそれはどういう意味だろう」と思い巡らしたとあります。
私たちが、みことばを心に留め、思い巡らすことこそクリスチャンの本当の姿です。

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