「慰めに満ちた神」Ⅱコリント1章1~7節 説教:岡村又男師

私たちの主イエス・キリストの父なる神、慈愛の父、すべての慰めの神がほめたたえられますように。
神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。
こうして、私たちも、自分自身が神から受ける慰めによって、どのような苦しみの中にいる人をも慰めることができるのです。(3、4節)
現代はいろいろなストレスがあります。そのストレスが、精神的にも、身体の面にも、生活のいろいろな面に現われてきます。そのために、癒しとか、慰めが必要です。何処にその癒しや慰めを求めますか。いろいろなお楽しみや趣味や、興味を持ちます。時には必要でしょう。でも、どれも一時的で、根本的な解決とはなりません。
今日、本当の意味で私たちを慰めてくれるものは、何でしょうか。
それは、生活のあれこれではなく、私たちが生きている「生きる」意味を知ることにあるのです。
私たちは、ただ食べて生きているのではなく、神によって生命を与えられて「生きている」のです。その神を知り、生かされていることを知ったときに本当の意味で「生きる」ことを知るのです。
私たちが神を信じ、神に生かされていることを知るとき、生きている本当の意味を知るのです。その神が「神がどのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。」と言われています。
この「慰め」と言う言葉は「パラクレイシス」という言葉です。実は、この「慰め」という言葉は、主イエス・キリストが最後の晩餐のとき、「父は、もう一人の助け主を、あなたがたにお与えになります」と約束されました。
この「パラクレートス」のパラは「近くで」クレオーは「呼ぶ」という意味があります。聖霊は助け主として、慰め、励ましてくださいます。『神は、どのような苦しみのときにも私たちを慰めてくださいます。こうして、私たちも自分自身が神から受ける慰めによって、どのような苦しみの中にいる人をも慰めることができるのです』

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