「とりなし祈る者として」 ヘブル8章1~5節 

ヘブル書は大祭司イエス・キリストの高さ、広さ、深さを示します。
1.大祭司イエスは今、どこで、何を
終りの時には困難な時代が来ると聖書は語ります。毎日のニュースは人間の自己中心、物質中心、快楽主義からくる犯罪で満ちています。そこには神のことば、神の存在の入り込む余地はないのです。聖書はこのような生き方は愚かで、危険であると語ります。私たちは過ぎ去ることも変わることもない永遠の世界に心を向け、そこに価値を置いて生きる者とされたいものです。
大祭司イエス様は、今天におられ、神の民のためにとりなしておられます。
2.天にあるものの写しと影
 大祭司イエス様と旧約時代の幕屋や神殿で仕えた祭司はどういう関係にあるのでしょうか。地上の幕屋、神殿で仕えていた祭司と大祭司は天にあるものの写しと影に仕えているというのです。写しと影には本体と実体があるのです。ユダヤ人は写し、影を大事にする民族です。でも大切なのは本体であり、実体です。それはイエス・キリストご自身です。ユダヤ人はこのイエス様を拒み、退けてしまったのです。
3.とりなし祈る者として生きる
 紀元70年イスラエルの神殿はローマ帝国により完全に破壊されました。今日イスラエルには神殿はなく、祭司、大祭司もおりません。ペテロは、「あなた方は選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民」と語ります(Ⅰペテロ2:9)。
すべてのクリスチャンみんな神の前に平等であり、誰もが直接神に祈り、神のみこころを伺うことができます。大祭司イエス様のお姿と働きを私たちがこの地上で信仰生活を通し、祭司として、見えるかたちで人々に示すように、神が使命を与えておられます。この地上の教会は見えない天国の地上におけるひな型です。天国と地上の教会の密接な繋がりを覚えます。真剣に祈るために心を合わせて祈ることです。祈りによって神様の世界大の働きに参加できるのです。ここにキリストにあって聖なる祭司とされる恵みを感謝し、日々とりなし祈る者とさせていただきたいと思います。

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